お遍路〜以前の旅について

 

お遍路に寄せて


ティム・マクリーン

清水 康伸

 

いのちの輝きが増す季節にも関わらず、世界は心痛む状況の中にありますが、その中にあって、心の落ち着きと平和を取り戻す瞬間の大切さも改めて実感します。

 

今回の遍路道は、松山市内からスタートし、52番札所・太山寺をはじめに、愛媛県の最後の札所66番・雲辺寺まで歩きます。町なかから海辺、静かな山間、深い森まで、空海が修行した場所を含めてお詣りします。

 

愛媛県は遍路道の中でも「菩提」の道場と言われますが、これは仏教の言葉で「目覚め」を意味します。今回の「目覚め」というテーマは、参加される方それぞれにとって大切な意味をもつことでしょう。

 

巡礼の道は、キリスト教やイスラム教、仏教、ヒンドゥー教、ユダヤ教、オーストラリアのアボリジニー、ネイティヴ・アメリカンなど、文化や宗教の違いを超えて存在してきました。千年以上の祈りが込められたお遍路道を歩くことは、人類の平和の願いと共に歩くことでもあるでしょう。

 

 生きとし生けるものたちが、幸福で平和で、苦しみから解放されますように。
 May Beings be Happy, Peaceful, and Free from suffering.

 

ティム・マクリーン

 

 

 

 

松山の街を通り、瀬戸内を行く今回のコースは、へんろみちの中でも象徴的な二つの山を含めて、厳しさよりも、むしろ静かで、穏やかな雰囲気が印象的です。

 

その山の一つ、霊峰石鎚山の姿と、それを遙拝する星ノ森の神秘な気配は、はるかな、深い"祈り"を感じさせます。

 

60番札所の御詠歌がその雰囲気をうたっています。
「たてよこに 峰や山辺にてらたてて あまねく人をすくうものかな」

 

もう一つの山、へんろみちの最高峰雲辺寺は、みちが伊予から讃岐へ、菩提から涅槃の道場へと移る転換点にあたり、ここにきて発心の道場である阿波をのぞみます。そこには、これまでの歩みをふり返るような峰々の眺めがひろがります。

 

66番「はるばると 雲のほとりの寺に来て 月日を今はふもとにぞ見る」

へんろの旅は、これまで歩いて来た人も、今から歩き始める人にとっても、ずっと日常の中でへんろみちはつながっているという感慨と同時に、"人生"というへんろみちをふり返ったにちがいありません。

 

この二つの峰をむすんでふもとや街に点在する札所は、古刹のもつ落ち着いた佇まいから、近代的なものまでありますが、どこもとても素朴です。そうした一つ一つの札所を巡るごとに、一枚一枚自分の皮を剥いで行くような、不思議と落ち着きをとりもどす出会いが、心の道を照らし出してくれるようです。

 

54番「くもりなき 鏡の縁とながむれば 残さず陰をうつすものかな」

 


清水 康伸 

-清水さんは私たちと共にお遍路の行程をすべて回られました(結願成就)

 

 

 


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